作、宮川総一郎「僕の奇妙な同居人」短編小説

B!

千駄ヶ谷は、江戸の昔から美しい湧水が豊富な谷間だったらしい。

昔はこの辺りは低い地形の谷間だった。

 

昭和の頃、関東地方は地下水の汚染が問題になった時期があって、隅田川とか都会を流れる河川が、次々と汚染で死んでいった。それから数十年、人は川をきれいに戻す努力を続けて行った。そしていつの間にか気が付くと、都心の河に魚達が戻って来た。

感動だ。

 

人の努力って偉大だなって思う。諦めちゃいけないんだ。

僕は、上京してこの洋館に間借りするようになって、すっかりここ千駄ヶ谷の地が気に入ってしまい、住み着いてしまった。伝え聞く清流と湧水の谷間は、今はその面影さえ、どこにも残っていないのだけど。

 

僕の住んでいるこの屋敷はご近所から森屋敷と呼ばれている。

樫の木の巨木が屋敷の地下に広く深く根を張って、樹齢400年は超えるだろうその巨木は屋敷全体に大きな影を落としている。

 

僕の部屋はこの森屋敷の2階の角部屋だ。ビルが立ち並ぶ前までは、ここからは千駄ヶ谷の街並みがほとんどすべて見渡せたそうだ。

朝日が登って来る地平線も、ビル街に沈む夕日も、今でもここから見ることができる。

もっとも、多くの高層ビルに遮られて、本来の日の出、日没とは半時ほどのズレがあるようだが。それも良いんじゃないかなと僕は思う。

 

先日から、軒下の窓ガラスに何かが軽く当たる音がしていた。樹木の小枝が伸びてきたわけでもないのに、このかたかたと物が当たる小さな音は一体何なんだろうと気になっていた。

僕はある日、不思議に思って、そっと窓ガラス越しに、外の軒下を覗いてみた。

カラスだ。

 

カラスが軒下に巣を作り始めている。

彼女は街中に落ちている破れた傘の骨や、落とし物で持ち主不明の携帯ストラップなどを、丹念に拾い集めて、樹の小枝で編み込んだ間に、それらを詰め込む作業を続けている。ありあわせの材料で、良くここまでやるもんだと感心してしまう。真に巣造りの職人技だ。

 

その努力に敬意を表して、僕の手でほうきを使ったりして、その巣を叩き落とすような無粋なことはしないでおこう。

彼女は少しの間でも、僕に奇妙な同居生活を一緒に楽しもうと言う気にさせてくれたのだから。このカラスは、なかなか魅力的な同居人なのではと思ってしまう。

巣が出来て、彼女はそこに卵を4個産んだ。

 

僕は窓を開けずに、そっとガラス越しに、彼女達の生態を観察し続けた。

6月になって、強い陽射しが東側の窓から照り付けてきた。

窓を閉め切ったままにしておくのは、はなはだ息苦しい日々が続く。それでも僕は耐え続けた。

 

ある日、彼女の卵が孵った。

梅雨の雨がカラッと上がったその日、うるさいほどのひな鳥の囀りが、窓ガラスを通して、僕の耳に聞こえてきた。その命の囀りで全てが森屋敷の管理人のおばさんさんにバレないかと、僕は気になって仕方が無かった。

 

幸い耳が遠くなってきたのか、おばさんは二階の東側の窓の軒下に住み着いた新しい家族の存在に、まだ気付いていないようだ。

 

もう少し、もう少しだけ彼らの存在を管理人のおばさんの目から隠しておきたい。そうすればひな鳥たちだって、一人で立派に巣立ちの日を迎えられるだろう。

遂にその日がやって来た。

 

一羽のひな鳥が思い切って巣から飛び立ったのだ。後の3匹もその後を続いた。

カラスの生態は人間と共存している野生動物の中でも意外に知られていない。カラスはとても頭が良く、警戒心の旺盛な鳥類だからだ。観察者の思うように、その生態をつまびらかに、無防備に見せてはくれないのだ。

 

僕はとてもラッキーだった気がする。

彼女たちの家族は完全に僕を受け入れてくれたからだ。

 

9月が過ぎ、セミの声もほとんど聞かれなくなったある日、管理人のおばさんは屋敷の庭で

落ち葉を集める作業をしていた。その時、木々の間から僕の部屋の軒下にある彼らの住居を発見してしまった。

 

おばさんはほうきと物干し竿を持って、颯爽と僕の部屋に現れた。

窓から太り気味のその身を乗り出すと、その二つの道具を器用に菜箸のように使って、カラスの巣を地面に落とすことに成功した。

 

僕は慌てたが、内心ほっとしていた。その日の1週間ほど前に、彼女の力作だった巣は、空き家になっていたからだ。

 

ひな鳥達はそれぞれの道を歩むため、母の元から元気よく旅立っていったのだ。

「まったくもう、カラスったら油断も隙もありゃしないんだから」

無断で軒下に間借りされていたことが、かなり管理人のおばさんは不満だったようだ。

僕は無言で管理人のおばさんの長い愚痴話を聞いていたが、窓越しに小枝の先におばさんの機嫌を戻す材料を見つけて、そっとその方向の視線を投げた。

 

僕に吊られたのか、管理人のおばさんもふっと窓の外を見る。

そこにはカラスの巣を構成していた材料の一部、真珠のネックレスが、すぐ近くまで伸びてきた小枝に絡みついていたのだ。

 

彼女は、きちんと家賃を払って行ったのかもしれない。

「おやまぁ、これは本物みたいだよ。警察に届けなきゃね。でもどうしようかしら…どうしようかしら…」

 

管理人さんは、驚いて混乱してしまい、そんな独り言を言いながら部屋の中を歩き回った。そして考えがまとまったのか、ネックレスにほうきを向けて、それを使って枝からひっかけ、器用に拾い上げたのだ。

 

それを彼女はごく自然な動作で自分の首に付けて、僕の部屋の備え付けの鏡に自分の姿を映して、首を左右に傾げたりして見惚れていた。

その後、ほうきと物干し竿を小脇に抱えて、僕の部屋を出て行った。

 

それから少しの間、僕の生活は平穏だった。

 

ある日柱の下の壁の隙間が少しずつ広がって来ている事に、敏感な僕は気が付いた。

その隙間から、粉のような物が畳の上にパラパラ零れ落ちて行った。

その作業は決まって深夜に行われた。深夜残業専門の工事人の仕業だろう。

 

僕はぐっすりと寝たふりをして、部屋の明かりを消し、そっと薄眼を開けて壁のトンネル工事の開通を楽しみに見守っていた。

その夜、工事人は広げた隙間から、可愛い顔を覗かせた。

 

イエネズミだ。

彼は注意深く辺りの景色を伺うと、そっとその壁の広げた隙間から、畳に降り立ち、部屋の隅の敷居を小走りで抜けて行った。

イエネズミは僅かの隙間があれば、家の中のどの部屋だって、自由に行き来する忍者のような技を持っている。

 

今日まで、僕の部屋に彼が来訪してこなかったことが、むしろ不思議なくらいなのだ。

そう言えば僕は習慣上、間食をしないたちだ。

だからこの部屋には彼の好物が何もなかったのだろう。

それが彼の来訪を今日まで遅らせていた理由なんだろう。

 

新しい奇妙な同居人は、以前のカラスのお母さんのようにガラス越しでしか、見ることのできない存在ではなかった。

しかし彼は極めつけの恥ずかしがり屋だ。僕に限らず、誰か人間にその姿を見られることを極端に嫌う性格の持ち主の様だった。

 

だから、明るいところで彼とゆっくり時を共有することは出来ない。真っ暗な夜の闇の中でだけ、僕らはお互いの存在を認識しあえるのだ。それを知った時は、僕は何か物足りなかったが、気付くとこの二人の関係こそが毎夜の楽しみに変わっていった。

 

僕は彼の小さな足音だけを聞いて、彼の居る場所を想像する。

彼は意味もなく僕の部屋を桟の上を散歩して、机の下か時計台の裏の自作の出入り口からお暇(いとま)していくのだ。

 

毎日のように規則正しい散歩の時間が繰り返される。

彼の姿が消えた後、天井裏から小さな音が聞こえる。

彼だ。

彼が深夜の屋根裏の散歩を楽しんでいるのだ。

幸いこの屋敷には猫はいない。

 

彼の生活を脅かす存在はここにはない。

おおらかに夜の闇に抱かれて、その自由な時間を楽しむが良い。

 

そんなある日、数年に一度の大型台風が関東地方を直撃した。

森屋敷の被害も、その例外ではなかった。屋敷の扉や窓は軋み、叩きつけて来る雨粒が、ガラス窓の隙間から室内に侵入し、壁に大きなシミを作った。瓦が何枚か吹き飛ばされたのか、折れた大きな枝か看板が屋根に直撃したのか、屋敷中で雨漏りが数か所同時に起こった。

 

僕の部屋の壁にもシミが出来、気付くと天井にも大きなシミが広がっていった。

台風一過、管理人さんは大工や瓦職人を呼んで、瓦の吹き付けをやり直し、天井板を張り替えた。二階はどの部屋も大騒ぎになった。

 

修理に着ていた左官屋さんは、僕の部屋にも現れた。

そして壁の僅かな隙間を見落とさなかった。

彼は手早く部屋の四隅から、大時計の裏に至るまで、天井裏の散歩人の自由な出入り口をあっという間に塞いでしまった。

 

その日から、雨漏りは無くなり、天井裏のシミは嘘のように消え、隙間風さえも気にならないようになった。

ただ、残念なことに毎夜、来訪を楽しみにしていた深夜の奇妙な同居人君は、もう2度と僕の部屋に現れることはなかった。

 

僕の孤独な日々が再び始まった。

そんなある日、僕の部屋に一人の人間の少女が現れた。

別に彼女は以前から僕の知り合いだった訳じゃない。

 

その日、この部屋で彼女と初めて顔を合わせたのだ。彼女は僕の部屋に入って来るや否や、僕を見つけて、不思議そうに近寄って来た。

そしてじっと僕の顔を覗き込んだ。

 

うるさい奴が来たと、その時正直僕は思った。

僕は今までずっと人間嫌いを貫いてきた。

 

ここの管理人さんですら、必要な事がないと僕の方から顔を合わせようとは思わない。

僕にとって人と一緒にいるのは、何より気詰まりだからだ。

 

彼女はどうやら、今まで僕がこの森屋敷で遭った人間達とは何かが違っているようだった。彼女は僕の存在を尊重して、勝手な干渉事はしない娘のようだと僕は思った。

 

「私は17歳です。今度東京の専門学校に通う事になったんだけど、ここがとっても気に入りました。一緒に住んでも良いですか?」

僕の方をじっと見て、彼女はそう言った。

僕は彼女に目を合わせて、無言でこくりと頷いた。

 

「やった、私初めて同居人出来ましたぁ~」

彼女は喜んで部屋の中を飛び跳ねて回った。

髪の毛が長く、足が細くてスタイルのとても美しい娘だ。

 

突然、こんな娘が僕のところに来るなんてどんな風の吹き回しなんだろうかと僕は困惑した。、

「私、桑之原萌って名前です。自分の家の庭には大きな古木が生えていて、家に何時も影を作ってるの。ここと一緒。だからこの洋館が一目見て私の家みたいだって思えて、気に入っちゃいました」

 

そうなんだ…と僕は思った。それでここに来たのか。

彼女がこの部屋に僕と同居を希望した理由が分かった。

 

「私、ちょっと病弱で学校とか休みがちなんです。だから体の調子の悪い日はこの部屋にいて、あなたの絵を描いていても、良いですか?」

僕は、もちろんと言い掛けて、その言葉を慌てて飲み込んだ。

 

僕には彼女に話し掛けることは、許されていない。

彼女は僕の返事を聞くまでもなく、持ってきた大き目のデザイン用具を入れた画材カバンの中から、愛用のスケッチブックを取り出して、僕を絵に描き始めたからだ。

彼女の絵は抜群に上手だ。

 

僕は彼女が熱心に筆を走らせるのを見て、素晴らしい絵の才能があると確信した。

僕と新しい同居人との奇妙な生活の一日目が過ぎて行った。

 

今までの同居人と彼女がちょっと違うのは、彼女は人間だという事、そしてこの部屋に長く住み着いている呪縛霊、すなわち僕の姿を見ることが出来る事なんだ。

 

こうして、僕にとってちょっと奇妙な同居人との共同生活が幕を開けた。

 

お終い

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書籍紹介

「七福神食堂」文庫

浅草にある蕎麦屋で働いている料理人見習いの美緒は、ひょんなことから神様が住む世界にある「福禄寿食堂」で働くことになる。その食堂にやってくる神様たちの悩みやトラブルをさぼり癖のある料理長の弥太郎とともに考えることに―「人間相手に出す料理だって難しいのに、神様に喜んでもらうにはどうしたらいいの!?」美緒の奮闘する日々が始まる。

 

「七福神食堂」著者 宮川総一郎 マイナビファン文庫 マイナビ出版 712円

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「東京謎解き下町めぐり~人力車娘とイケメン大道芸人の探偵帖~」文庫

京都の大学卒業後、地元・浅草に戻ってきた祥子。家業の車夫を継ぐつもりが、実家はタクシー会社になっていた。父親の勝手なやり方に嫌気がさして家を出た祥子は、浅草で大道芸をやっている大也に出会い、彼が大家をやっているシェアハウスにお世話になることに。しかし、シェアハウスの住人は職業も国籍もクセのある人ばかりだった。そんな住人たちが引き起こす事件に祥子は巻き込まれていく

 

「東京謎解き下町めぐり~人力車娘とイケメン大道芸人の探偵帖~」 著者 宮川総一郎 マイナビファン文庫 マイナビ出版 712円

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「松本零士が教えてくれた人生の一言」

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松本零士漫画作品の中から、強く心に響く言葉を厳選し、その言葉が持っている意味、言葉から導かれる人生の生き方などを解説していく啓蒙書。漫画作品は「銀河鉄道999」「宇宙戦艦ヤマト」「キャプテンハーロック」「ザ・コクピット」「男おいどん」など多岐にわたっています。この本を読むと必ず原本の漫画をもう一度読み返したくなります。

 

「松本零士が教えてくれた人生の一言」著書 宮川総一郎 クイン出版 

kindle版  900

「松本零士創作ノート~松本零士作品と氏の人生の軌跡から~」新書

宇宙海賊キャプテンハーロック、宇宙戦艦ヤマト、銀河鉄道999、1000年女王、男おいどん
ダイバー0(ゼロ)ザ・コックピット、ミライザ版etc…
これらの名作の発想、創作の方法が全てここに書かれてある
松本ファンだけでなく漫画家志望のクりエターならばそのノウハウを学ぶ必読の書です。
あの名作の名シーンが再び読める

 

「松本零士創作ノート~松本零士作品と氏の人生の軌跡から~」著 松本零士 編集 宮川総一郎 ベストセラーズ 1257円

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